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「クソゲー」。


世間一般で言うところのつまらないゲームやダメなゲームの事をいいますが、あまりに主観的な言葉すぎて私は嫌いです。実際レビューで一度も使った事はないですしね。
過去の経験上制作側の立場を弁護すれば、開発スケジュールの都合もありますし、同じゲームの開発に長期間かかわっていると内容の良し悪しやゲームバランスの感覚がマヒしてきてしまいます。結果、上記の様な完成度の低い作品が生まれてしまったのではないでしょうか?
例えば各メーカーの絶対に外せない看板作品や、初代ポケモンの様に何年もかけて作りこみ出来た作品、天外魔境Uの様に「発売日は厳守だけど、開発費はいくらかかっても良い」と言った恵まれた条件で作られた作品というのは本当に少ないと思います。
特殊な例かもしれませんが、私がデバッグでかかわったスーパーファミコンのとあるRPGでは、途中から戦闘を補助してくれるキャラクターのシステムに難航し、結局全体的にゲームバランスがメチャクチャなまま発売されてしまいました。しかしこの作品は一度発売が延期となり(本当は映画とのタイアップで同時期に発売したかった?)、またハード末期と言うことで、「まあいいや」的なあきらめムードで発売されたようです。実際、後に中古も含めて実物を1度しか見た事のない超レアソフトになっております(需要がないのでプレミア価格ではありませんが・・・)。ちなみにその頃奥の部屋でサウンドノベルの企画会議があったのですが、それが後の「月面のアヌビス」だったりします。ホントなぜか私はラブクエストや永遠のフィレーナの時もそうですが、マイナーゲームの開発現場にめぐり合う運命なっていたようです。

売っているの見たことあります? 監修した人はすごいんですけどね・・・
話が脱線しましたが、私としては技術的な事や時間的な制約でダメな仕上がりになってしまったゲームについては仕方ないと思っています。余裕のある大手メーカーなら最悪お蔵入りにする事もできるでしょうが、小規模のメーカーや複数の開発会社が関わっている場合はそうもいかなかったでしょう。
よく「ファミコン(TVゲーム)ブームに便乗して出せば売れる」と言われてはきましたが、それはあくまで会社の決定であって、私は現場のクリエイターの苦労を知っているがゆえ、安易に「クソゲー」と言う言葉は使ってはいけないと思っています。

ただ、そんな私でも違った意味でクソゲーと呼んでやりたい作品はあります。
それは「プライドのない作品」
「元○○のスタッフが作った新作」をアピールし、類似する作品を他社(移籍もしくは独立先)から出すのは安易なパクリゲームより許せないです。最初から最後まで一人で作った作品なら良いですが、これでは個人の名前を前面に出して過去の成功を一人の手柄にするような感じがして、当時のスタッフに対して失礼だと思います。
知っている人だけ知っているのはかまいませんが、それを売りにしては開発スタッフが大幅に変わって失敗した続編よりも、個人の名前を出しておきながら失敗した類似作品の方がユーザーの期待を裏切るのではないでしょうか? 

つまらない作品、バグの多い作品、クソゲーの基準は人それぞれかもしれません。それでもやはり作る側の思い上がりがなくならない限り、クソゲーと言う安易な言葉はなくなりませんし、「ゲーム」を求めているユーザー離れや、ビジュアル思考への歯止めが効かなくなるのではないのかな・・・ って思います。
作らされた感が伝わってくるのは同情するが、あまりにFFの面影がないのはよろしくない
プライドを捨てればなんでもアリという開き直りを代表する作品
FEファンとしてはここまでやられると見苦しかった

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